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この流れの石田三成のほうが通説よりもすっきり納得感ありますね歴史って研究が進むとほんとに印象かわるもんですねぇ
三成スケープゴート説は意外過ぎて言葉もないです。関ヶ原から400年以上も誤解されたままで三成はどう思っていたのかと思うと気の毒でたまりません。武士道さんがこうしてRUclipsで紹介してくれて少しは報われたと感じてくれているといいですね。
大河ドラマのストーリーとして出てくる前に予習できるの助かります!体調不良の中、ありがとうございました🌼松潤と七之助でどんな風に描かれるのか更に楽しみになりました❤歴史解説のいろんな場面で地理的な要因は一番納得しやすいですね。
今までにない三成像が聞けて、とても感銘を受けました🙇🏻やはり武士道さんの解説は一般の人にも分かり易い言葉で伝えてくれるので、本当によく理解出来ます❗️
毛利輝元が担ぎ上げられたお飾りの大将ではなく実はやる気満々ノリノリだった、って話はNHKの歴史探偵でも取り上げられてましたね。
いつもありがとうございます。先日の 三成と家康が 実は仲が良かったのでは⁈というリクエストに応えていただいたみたいで、とても嬉しいです! ずっと観ていて、何となく、三成に 明智光秀にも共通する 人となりや時代的流れを感じてしまいました。
これはこれでまた、今までと違うドラマが作れそうです。互いを認め心を通わせながら、それぞれの目指す天下のために反目せざる得なくなった2武将
😢
😅
分かりやすい簡潔な解説をありがとうございますぅ!「石田三成」推しですぅ!
とっても興味深い考察をして下さり、本当にありがとうございます。「どう家」第35回で初登場した三成は、これまでの三成と違い、とても純粋ば好青年で、見た時は「どうも私怨や忠義の為に、関ヶ原を引き起こしたとは思えない」というイメージをしましたが、武士道さんの解説を聞くと、もしかしたらこの新説の方が正しいと思いますね。「どう家」で関ヶ原の戦いが起きた原因をどう描くか、楽しみです!
いつか大河ドラマで石田三成が主役になったら今回の解説に沿った物語になりそうですね誘致運動するほど慕われる人物なのも納得です
なーるーほーどー!なるほどです!すごく分かりやすくて、面白く素敵な解説ありがとうございます😊どうする家康で、どのように描かれるか、さらに楽しみになりました😊
最後の三成の言葉の整合性も取れる気がしますねえ
初めて聞いた説で、斬新でした。毛利輝元は大大名なのにちょっと存在感が薄く、元就の孫にしては?!と常々思っていたので、こういう暗躍があったのなら元就の血を感じますね。最近の説では、大谷吉継も三成との友情のためではなく、十分勝算ありと見て参戦したようです。でもそうであれば、なぜ毛利輝元は石田三成を担ぎ、また突然のようにその支持を覆し降りてしまったのかの疑問は残ります。直接の臣下である三成がふさわしい立場にいたからか?、予想に反して1日で終わった関ヶ原の戦いの経過により毛利と徳川の裏取引での和睦が成ったのか?疑問が次々浮かんで来ます。担がれて詰め腹を切らされた三成は、あまりに気の毒ですね。
@@satokopiroshi4949 さん そうであれば、これこそ権謀術数の極みですね!
今日 9月15日 関ヶ原に行き 陣地巡りをしてきました。今までの通説を思いながら廻ってきましたが 帰ってきて今 武士道さんの話を聞いてビックリ!! 私は三成推しなので そんないきさつがあって最後を迎えた三成が本当に可哀想です。。
今回もためになる話あざっした😊面白かったです!
いつも楽しく拝見しております。今回の三成家康関係良好説。好きです。個人筆頭株主副社長と切れ者社長の懐刀社長室長の関係なので、ドラマ的には対立軸で書かれがちですが、両者とも歴史に名が残る優秀な人物です。そんな関係ではなかったと昔から思ってました。優秀な実務家好きの家康は三成とはうまがあってたんではなかろうかと思ってたので、今回のお話の流れ私の好みとぴったりあっちゃいました。また、長州好きの方には大変ご無礼ですが、長州のいやらしさも私好みです。
面白かったです。石田三成の大河が見てみたくなりました😊
通説とは違いすぎて驚き!!!今年はどういう感じで描かれるかな?
この説を使った三成主演の大河みたいですね
知ってる本当は仲がいい👍👍
翻弄されるまま対峙する羽目になった三成像は斬新な目線だった。大河では意気投合しそうな予告カットなのでこの方向で期待したい。
色々関ヶ原の本読みましたけど、この説は初めて聞きました。テレビがないので大河は見ていませんが、大河を見た気分になって面白かったです。今後も楽しみにしています😊
わかりやすいです👍
中村七之助さんが演じる石田三成がとても好きです。
Xの石田三成@zibuさん、家康憎しのスタンスでユーモラスに呟いていますが、二人の関係が良好だったという説が主流になったら、どういう対応をとるとのか今から楽しみ😊輝元の子孫が倒幕を行い、現代も長州レジームが続いていると思うと、とても複雑😮
大谷吉継や安国寺恵瓊が石田三成の居城の佐和山城に足しげく通っているんですけど普通に考えたら誘う側が誘われる側に通うものですよねということは、対家康に誘う側が大谷や毛利であって、三成は誘われる側だったというのが正しいと思います
面白いわかりやすい説明で大河もどんどん興味が湧いてくる
新しい見方ですが、筋が通った説ですね。引退した三成が全面に出ている点に疑問を持っていたから納得できる話です。
現政府に繋がる長州藩を悪くいわないように三成が首謀者にされたのかな?
2あけたくえきあきあ2きけいきえかあこきくいきたかあこあくあ2あ2あけあくあきあこあ2あきあこあ2たあけいきあけあ2あかあこあくあこあきあこあかえかいかあきあきあきあかあきあきあかたくあかあ2あかあかあくあ2あこあ2あかあきあきあきあくあかあかあこあきあけあかあきあ2あけあくあかあ2あこあこきこいくあききけかきけこえくあ2あこあこあくあくたきあけあこあけあきあくあこあくあこあこ2い2あかきかきこいい2けききえ2こけこけあいかあかあかか2湖あかあきあきあこあくきくくあえうこくかあこいてきくおいこうあこ2いお2あこあけいけおこあこかおくかけ娘きくいくのかきくかけこいえいえけあけあ2けくきいいかいういいわよややややややゅややょゃやゃゆゃょややゅら8、よなゆやややゆやゃゆよゆよや8ゆゃゆよややよょまゆたやまゆなよなゅたゃまよなゅな8なゆほふふへほふひほはふほ😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮
このストーリーで「大河・石田三成」を観たい😢
次男の子孫になる津軽藩杉山家の御当主によれば、家康は当然知っていたけど見逃したんだろうとおっしゃってますね。
江戸時代の「豊臣の佞臣」も明治以降の「豊臣の忠臣」も後世で創られたイメージ
えっ💦そうなのですか!西軍の総大将は三成じゃなかったの?なのに責任取らされて処刑なんて悲劇すぎる😢三成と家康は親交があったのなら関ヶ原は辛い戦でしたね今までのドラマなどの三成のイメージが真逆になりましたもし今後、石田三成の大河があるなら、明智光秀のようにイメージを一変するようなストーリーになりそうですね
これが本当なら今までの通説吹っ飛んじゃいますね
新しい説のとおりの三成だと何故か麒麟が来るの明智光秀と被るイメージを持ってしまいました。この先新しいキャストも発表されたのでドラマの進展が楽しみですね
とても興味深いです🤔大谷サンと毛利家の関係とか、毛利家の中でも、家康嫌いだけど家康に臣従しないと生き残れないしなみたいな葛藤と、大老の面子と元就公の教えと、複雑な事情があったのかなと妄想が膨らみます💡単純に、三成家康仲良し🩷の世界線、現実にあって欲しいです💡三成サン間に挟まって貧乏くじ引化されたのかもですね😢切腹しなかったのもどういう心情だったのでしょう。。
大変興味深く拝見いたしました。確かに合点が行く点が多いです。そもそも徳川家康は「好き嫌い」で人を判断しない武将です。武田信玄とは長らく敵対関係にあり殺されかかっていますが、その実力は誰よりも認めており尊敬していました。織田信長とは同盟関係にありながら実際には従属関係に過ぎず妻と長男を殺さざるえない状況に追い込まれています。にも拘わらず信長亡き後も、織田家の一族と上手く連携しており、手のひらを返して冷遇しまくった秀吉とは対照的です。真田VS家康も一面に過ぎず、東軍に与した信幸の系譜は10万石の大名として幕末まで存続しています。「味方は多く、敵は少なく」が家康の信条であり、三成もまた敵にしたくなかったのが本音だったのではないでしょうか?
え~!驚きの新説。毛利輝元、不可解。
新しい、おもしろい新説😮一説には大谷吉継が三成をそそのかしたとかの説もありますね。だからこそ前線で少数ながら戦った。関ヶ原後毛利への処遇も毛利が積極的に家康排除へ動いていたならわかりますね。三奉行も処罰されたりしてますからね。
斬新な説で興味深く拝見致しました、ちょうど某社の昔懐かしいシミュレーションゲーム、「徳川家康」のルールブックを解読中でしたから、旧友と、徳川家康、石田三成として対戦する日が待ち遠しいです。
とても興味深い動画でした。👍👍👍前に武士道さんがあげていた、(手のひら返し武将列伝)を思い出します。(^_^)v私も(三成と家康の関係は良好だった)という、最新の説を少し前に聞いていたので、武士道さんがいち早くこの説を取り上げたのは素晴らしいと思います。「どうする家康」でも、この説を取り上げて欲しいです。解説では今までの説、ドラマの内容としては新説、みたいにドラマが出来上がるのを、私個人は期待しています。(^_^;)ただ、武士道さん、喉、鼻、大丈夫ですか?どうかお大事になさって下さい。(^_^;)
家康にしてみれば「石田殿、何故こうなった?」と思って大津城での引見に臨んでそう
こりゃまた随分衝撃的な新事実ですね!参考文献が気になるところ(まだ概要欄にない)
武士道さんいつもより声が低くて調子悪そう。無理せずのんびり続けてくださいねー
確かに総大将っぽい動きじゃないんですよね。大局観や戦略が無いし、戦術的にも後手後手で変ですね。担がれたんだったら納得です。
大河では家康役と三成役の関係が言われていますが景勝役と輝元役との関係がwキャスト発表、笑えました。(ついでにイノ、、、あっ😅)ともあれこの五奉行と三成の辺りが描かれそうでスッとボケた?輝元が特に楽しみです。
神授業✨ 昔の歴史番組で、家康公と大谷吉継公は交流があったとありましたね。
武士道さんちょっと声がお疲れ気味な感じなので、気をつけて投稿して下さい。新しい説が出てきて三成と家康の友情を『どうする家康』で見たいですねw
石田三成、好き❤️。😊👍😊岡田准一
あらら通説と真逆だわ😅この動画見てよかったあ
今回の解説は、今まで知っている認識とちょっと、違い過ぎて、驚きました。ビックリです。歴史ドラマが史実と思っていましたが、随分違いますね。三成が主導だと思っていたが。凄い解説でした。納得。毛利輝元って、酷い。
やる気満々の毛利輝元の話は歴史探偵でみてビックリした。西軍は最初は後方の玉城で戦うはずが小早川をけん制するために城から降りて関ケ原が戦いの舞台になっととも。今後、まだまだ関ケ原の戦いの新事実が発見されるのか楽しみ。
とてもわかりやすい解説、ありがとうございました。関ヶ原以前は三成と家康の関係、良好だったのですね。驚きです。最後はスケープゴートにされるとは、かわいそうすぎます。家康はなんとか助けてあげられなかったのでしょうか。
昔、広島県で発売された毛利輝元物語では、広島県の英雄、広島城築城の立役者として描かれ、関ヶ原の戦いは、あくまで本意では無く、安国寺恵瓊の口車に乗って渋々総大将になったとされていました。今回の大河では、毛利輝元の配役は吹越満さんだそうですが、ものすごい小賢しいおじさんとして描かれそうですね。
家康と三成はお互い共通してる部分があると思います。倹約家なところとか。
三成の置かれた苦しい立場は、当時としてはあるいみ公然の秘密になってたからこそ、処刑前の期間に家康手づから小袖を与えたりして、虐待するような事はしなかったのでしょうね。子孫も生かしていますし。
面白かったですむしろ通説はどうしてこうなったというレベルですね
でも、だとしたら関ヶ原の現場で毛利吉川軍はなぜ空弁当まで使って戦いに参加しなかったのでしょう?関ヶ原で徳川軍を倒してしまえは良かったと思うのですが…
毛利秀元の別家創設問題+隆景の遺領問題で揉めちゃったんですよね… 隆景死去で隠居領の安芸の三原を毛利本家に返還するか誰にやるか宙ぶらりん+輝元に子供いなかったけど元就四男の穂井田元清の子の秀元を養子にしてたが念願の実子・秀就誕生→秀吉「おめっとさん!せやけど秀元には詫びにちゃんと石見出雲の二国で独立大名として分家創設してやれよ、小早川旧臣も秀元に編入な 三原は…広家に+かな(秀吉の病状悪化で中止)」と遺言するが、三成と輝元が秀秋失脚後、三成の蔵入地だった筑前←→小早川旧臣を三成に編入というトレードで合意して「秀頼様への謀反じゃなくても奉行に逆らう奴おったら潰そうぜ」と結託(筑前あげるは秀秋の越前転封解除で立ち消えになったが…)三成裁定「秀元は伯耆・出雲・隠岐で広家は亡き隆景公の三原に国替え!」秀元「…遺言と違うし石高少なくね?」広家「なんで出て行かなあかんの(怒)」輝元「(三原は水運の要衝だから俺が直接接収したい…)」で内紛→三成失脚後、家康の命で広家の転封中止、秀元は本人希望の長門一国+周防の一部と1597年死去した実父元清の安芸・周防・備後内の遺領相続で三原は輝元に返還で決着→広家「ありがとうございます!」秀元「父上の遺領まで貰えるとは!ありがとうございます!」家康「これで一件落着!皆仲良くね!」輝元「(…三原取れたのは良いけどこの件は本家主導で進めたかったのに家康め余計なことしやがって。ぜってぇ許さねぇ…せや!)」
既にこの時点で「毛利は奉行らに騙されてる」体で徳川との和睦の余地を残してるから、直接戦うとなると「和睦?あんなのは武略だ。騙される方が悪い」と言いきるしかなくなる。それやっちゃうと以降戦局が悪くなった時に「やっぱり徳川と和睦したいです」となっても通らなくなっちゃうじゃん?直接の交渉先である家康を絶対に殺せる確証があるんならまだしも、そうでないならそこまでは思い切れないでしょ。
三成の息子が「重家」というのがどうもしっくりしなくてモヤモヤしていましたが、これで納得できました
佐和山城、ウチの近く!
やってられねー現場指揮官の三成の最後に陣羽織着せて上げた黒田長政は唯一の理解者かな
福島正則は当然経緯知らない
声が疲れてますので、また体調不良なのでしょうか。最近の武士道さんは本当に忙しいのでどうかお身体ご自愛下さい🙇🏻♂️
武士道さん、鼻声気味じゃないですか?!お忙しいと思いますが、なるべく無理なさらず、お大事に。ご自愛下さいませ。
以前から、関ヶ原合戦前の家康と三成の関係が悪く見えなかったので疑問符がありましたが、すっきりしました。輝元が狸なのは間違いないですね。
天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった: 一次史料が伝える“通説を根底から覆す"真実とは 乃至政彦 (著), 高橋陽介 (著)の関ヶ原に至るまでの説ですよね。
今までのイメージとまったく違ってびっくりです。
通説と、だいぶ違いますね!
伊達宗城の人物解説希望です!
家康と三成は最初から相容れなかった、これは必然だと思います
私の今までの三成イメージは鼻持ちならない人。人徳が無い為に関ヶ原の最後に島津等、有力武士が寝返ったと思ってます。でも昔、祖母が処刑場に行く時に誰かが三成に柿を差し出したら恥ずかしい死に様になるので断った話をして筋の通った立派な武将って言ってたな。人はいろんな側面があるのでしょうね。
明日は石田三成公の日であり、大河ドラマでも、ちょうど中村さんが出演シーンが
時代の流れや立場の問題だったのかなって思う。徳川家も自分達の時代を作る為、三成達豊臣側も豊臣の栄光を守る為、それ故に争う事になったというか何というか。
毛利ひでえな、幕末では江戸でテロおこすし。 だーいし可哀想すぎる。
逆にここまではっきりしているのになぜこれまでこんな通説がまかり通ってたんでしょう。
悲運の武将石田三成だったんですね、、、知らなかったです。これをどうするでえがいてほしいです。
七将襲撃事件は藤堂高虎を外して加藤嘉明が入る説もありますね。
輝元はバリバリの野心家だったんですね
三成の子供たちがみな生き延びてる事実を考えると三成首謀説は成立しがたいと考えるべきかも。また大谷吉継が三成のほうに出向いてることは吉継が三成を説得に出向いたと考えるのが妥当。
大谷刑部が三成に家康打倒の兵をあげる説得にくるわけないだろ。
当時は、豊臣政権不審抱いている人いったから三成忠臣かとは言えないので、船と水の関係例えるなら豊臣家は、船 水家康たちでしょ?
黒田と蜂須賀は逆恨みで草w
三成は東国大名の取次を担っていたので仲の良い大名が多く家康もその1人と言えます同じく東国大名の取次役を担ってた家康とは早くから仕事仲間だった訳ですし景勝の会津転封の時と同様に家康の関東転封の時に便宜を図っていたのかもしれません
いつの時代も、足の引っ張り合い
関ヶ原後も三成の子ども全員命は許されて、内一人は津軽藩の家老になったとも聞きました
新説を興味深く聴かせてもらいましたが、一点質問です。本戦での吉川広家の裏切りはどう説明するのでしょうか。
関が原の本戦前に岐阜城が陥落したからです。その段階で西軍総大将の毛利輝元は敗北を確信し、主戦派の安国寺恵瓊・秀元に内緒で広家を通して家康との講和を模索、本戦前に裏切りを条件に毛利家お咎めなしで話がつきました。当然、吉川広家は動きません。恵瓊と秀元は大混乱。吉川広家と仲が悪かった恵瓊は全責任をとらされて切腹です。よく、広家が三成を恨んでいたからと言われるのがありますが関係ありません。
三成が現場指揮官になったいきさつがわからない。五大老の一人、宇喜多がいるのにね。毛利はずるいなー。そりゃ大幅な減封されるわ。
五大老だからこそ権限与えられなかった可能性もありますあと多くの大名を統制する経験が圧倒的に不足してますし
一応文禄の役で日本軍総大将にはなってます
聞こえない程ではないが収録音が小さいです。改善を望みます。
今までの通説ドラマとは、まったくの逆の歴史のせつ😮
本当に三成が政治家よりもビューロクラットと思います。忍城をも落とせないし、家康の動きも読めないし。。。
忍城の水攻めの件は石田三成のせいにされがちですが、三成着陣時にはもう既に決まっておりました。(秀吉の意向)水攻めに消極的な内容の当時の三成の手紙が残っております。
家康暗殺の黒幕を前田利長と決めつけて加賀征伐をしたり難癖付けて上杉征伐を決めたり実際に家康が好き勝手しすぎじゃないですか?三成が西軍についたのも上杉と昵懇の仲で見捨てられなかったって説もありますし
声どうされました?カメラのせいなのかな?
毛利はこの時の失敗を家訓の様に伝え、200何十年後に憂さを晴らしたわけか。
自分が始めた戦いなのに会戦が負けたら大坂城を捨てて逃亡し、結果として大減封を食らった。って、鳥羽伏見の戦いの徳川慶喜と一緒ですね。
今まで刷り込まれていた通説とはいったい?ってぐらいに違くて驚きでした。。。これが本線のお話なら関ケ原で全く仕事しなかった毛利一門なにがしたいん?って、思っちゃいもすよね。。。武士道さんお声がやばすぎだが。。。ご自愛くださいませ。
毛利は内部対立していまして、輝元VS秀元、広家の構図ですね。そこから推察すると関ケ原前後の動きに全く違和感はありません。むしろ通説の方に違和感があります。
音質ちょっと変わった?
多分武士道さんがお疲れ気味なのかもしれませんね
通説って内容として出来過ぎてると感じていました。これまでの時代劇では豊臣家のため、忠義など、三成はそういうイメージがつきまとっていたように思いますが、どうやら違いそうですね。意外にも三成が家康に子どもたちの助命嘆願を関ヶ原前に願い出ていたとかないんですかね?三成の子は全員助命というか江戸時代以降を生き抜いてますよね。西側の大名達は誰もこの戦の責任を取りたくないが故に総大将になることを望まず三成にすべてを被せたのかもしれません。関ヶ原の地で豊臣恩顧の大名達が東軍につき戦っている姿を見て三成は何を思ったでしょうか?秀吉のもとで出世した武将たちが秀吉が亡くなった途端こうも手のひらを返せるものなのかと、複雑な心境であったのではないかとわたしは思います。
史実として出回ってるのが一次資料に無い話ばかり。。後付けの創作が多過ぎるのか、、
意外な史実・・・関ケ原の戦いを知れば知るほど、毛利輝元は何がしたかったのかわからない・・・自身は大津城攻めをしていたこともあるけど、大坂城から動かない・・・関ケ原にいた吉川広家、毛利秀元は動かないし、一応分家筋の小早川秀秋は東軍に寝返るし
毛利の勢力拡大…具体的には祖父元就が夢みた西国全土の覇者になりつつ宇喜多か奉行らの誰かを中央政権のトップへ押し上げるって所だったのでは?成功すればその形。一方で失敗した場合はどうにか厳重注意。あっても所領を削られるぐらいで済ませたい。言わばダメコンに重点を置きながらやってた謀略だと考えれば辻褄は合うし、毛利軍が関ヶ原で動かなかった事にも説明は付く。いかに書状を交わしていようが実際に徳川と戦闘行為に及んでしまえば「毛利家は騙されただけなんです」なんて言い訳が通る余地はゼロになる。あくまでNo.2である吉川としては責任者の輝元が現地に居ない以上はリスクを取る気になれなかったんでしょう。
毛利秀元は動きたくても吉川広家に騙されて動けませんでした。
自分が総大将で大阪城に入れば家康は関東に釘付け 徐々に支配を広げればいいと考えたんでは?だがすぐに反転に動くとは思ってなかった。上杉がでてこれなくなる冬になるまでは
東軍が強すぎて岐阜と大垣が一瞬で制圧されたからヒヨった。関ヶ原前のこの時点で輝元や吉川広家は三成と恵瓊を尻尾切りしようと画策し始める。逆に家康は武断派にキレられるぐらい江戸に引きこもってたが、武断派が岐阜を超速で落としたのでこれは勝てるとなって即座に関ヶ原まで出てきた。だいたい岐阜で説明が付く
なるほど…… 🐧(笑
仲が良いというより、お互い武将として評価・リスペクトしていたと言うのが正しいのでは?関ヶ原の戦いで三成も主体的でなければ、あそこまで現場監督的な立場にならなかったと思います。内府違いや吉継の行動も三成が表に出ず(失脚した自分が表に出れば上手くいかない?)、裏で動かしたと解釈するのが・・・。それに、毛利の裏切りっぷりというか、見捨てっぷりも三成可哀想・不器用というより武将としてお人好し過ぎると。ちょっと三成を美化する流れで、違和感はあります。
三成は政権で最大派閥の徳川を"危険視"していたのは間違いないと思う。だからこそ徳川とやりあったら終わりなので、家康と仲良くする事で最大の政敵である武断派(前田派)に対抗しようと考えた。その絵図の中で利家が死んでしまい、前田派は徳川派に劣勢になった。家康はここに至るまで誰にも肩入れせず武断派とも三成や島津とも仲良くしていた立ち回りが上手く、武断派は家康に鞍替えした(ここで東国武力をほとんど手に入れた家康は天下取りに行けるという確信を得た)。三成は焦って毛利とコネクションを取って、徳川-武断VS毛利-三成という絵図になった。時系列でみるとこんな風に見えます。
三成はそこそこ人望ある中堅管理職くらいなんだと思う。毛利、島津、佐竹、真田あたりとの関係性をみると、普通にリア充コミュ力高めの頭は回るタイプ、という男。逆にそれで出世したから、武断派と対立したんじゃねえかなあ。
この流れの石田三成のほうが通説よりもすっきり納得感ありますね
歴史って研究が進むとほんとに印象かわるもんですねぇ
三成スケープゴート説は意外過ぎて言葉もないです。関ヶ原から400年以上も誤解されたままで三成はどう思っていたのかと思うと気の毒でたまりません。武士道さんがこうしてRUclipsで紹介してくれて少しは報われたと感じてくれているといいですね。
大河ドラマのストーリーとして出てくる前に予習できるの助かります!
体調不良の中、ありがとうございました🌼松潤と七之助でどんな風に描かれるのか更に楽しみになりました❤
歴史解説のいろんな場面で地理的な要因は一番納得しやすいですね。
今までにない三成像が聞けて、とても感銘を受けました🙇🏻
やはり武士道さんの解説は一般の人にも分かり易い言葉で伝えてくれるので、本当によく理解出来ます❗️
毛利輝元が担ぎ上げられたお飾りの大将ではなく実はやる気満々ノリノリだった、って話はNHKの歴史探偵でも取り上げられてましたね。
いつもありがとうございます。先日の 三成と家康が 実は仲が良かったのでは⁈というリクエストに応えていただいたみたいで、とても嬉しいです! ずっと観ていて、何となく、三成に 明智光秀にも共通する 人となりや時代的流れを感じてしまいました。
これはこれでまた、今までと違うドラマが作れそうです。互いを認め心を通わせながら、それぞれの目指す天下のために反目せざる得なくなった2武将
😢
😅
分かりやすい簡潔な解説をありがとうございますぅ!
「石田三成」推しですぅ!
とっても興味深い考察をして下さり、本当にありがとうございます。
「どう家」第35回で初登場した三成は、これまでの三成と違い、とても純粋ば好青年で、見た時は「どうも私怨や忠義の為に、関ヶ原を引き起こしたとは思えない」というイメージをしましたが、武士道さんの解説を聞くと、もしかしたらこの新説の方が正しいと思いますね。
「どう家」で関ヶ原の戦いが起きた原因をどう描くか、楽しみです!
いつか大河ドラマで石田三成が主役になったら
今回の解説に沿った物語になりそうですね
誘致運動するほど慕われる人物なのも納得です
なーるーほーどー!なるほどです!すごく分かりやすくて、面白く素敵な解説ありがとうございます😊どうする家康で、どのように描かれるか、さらに楽しみになりました😊
最後の三成の言葉の整合性も取れる気がしますねえ
初めて聞いた説で、斬新でした。毛利輝元は大大名なのにちょっと存在感が薄く、元就の孫にしては?!と常々思っていたので、こういう暗躍があったのなら元就の血を感じますね。最近の説では、大谷吉継も三成との友情のためではなく、十分勝算ありと見て参戦したようです。でもそうであれば、なぜ毛利輝元は石田三成を担ぎ、また突然のようにその支持を覆し降りてしまったのかの疑問は残ります。直接の臣下である三成がふさわしい立場にいたからか?、予想に反して1日で終わった関ヶ原の戦いの経過により毛利と徳川の裏取引での和睦が成ったのか?疑問が次々浮かんで来ます。担がれて詰め腹を切らされた三成は、あまりに気の毒ですね。
@@satokopiroshi4949 さん そうであれば、これこそ権謀術数の極みですね!
今日 9月15日 関ヶ原に行き 陣地巡りをしてきました。今までの通説を思いながら廻ってきましたが 帰ってきて今 武士道さんの話を聞いてビックリ!! 私は三成推しなので そんないきさつがあって最後を迎えた三成が本当に可哀想です。。
今回もためになる話あざっした😊面白かったです!
いつも楽しく拝見しております。今回の三成家康関係良好説。好きです。個人筆頭株主副社長と切れ者社長の懐刀社長室長の関係なので、ドラマ的には対立軸で書かれがちですが、両者とも歴史に名が残る優秀な人物です。そんな関係ではなかったと昔から思ってました。優秀な実務家好きの家康は三成とはうまがあってたんではなかろうかと思ってたので、今回のお話の流れ私の好みとぴったりあっちゃいました。また、長州好きの方には大変ご無礼ですが、長州のいやらしさも私好みです。
面白かったです。石田三成の大河が見てみたくなりました😊
通説とは違いすぎて驚き!!!
今年はどういう感じで描かれるかな?
この説を使った三成主演の大河みたいですね
知ってる本当は仲がいい👍👍
翻弄されるまま対峙する羽目になった三成像は斬新な目線だった。
大河では意気投合しそうな予告カットなのでこの方向で期待したい。
色々関ヶ原の本読みましたけど、この説は初めて聞きました。テレビがないので大河は見ていませんが、大河を見た気分になって面白かったです。今後も楽しみにしています😊
わかりやすいです👍
中村七之助さんが演じる石田三成がとても好きです。
Xの石田三成@zibuさん、家康憎しのスタンスでユーモラスに呟いていますが、二人の関係が良好だったという説が主流になったら、どういう対応をとるとのか今から楽しみ😊
輝元の子孫が倒幕を行い、現代も長州レジームが続いていると思うと、とても複雑😮
大谷吉継や安国寺恵瓊が石田三成の居城の佐和山城に足しげく通っているんですけど
普通に考えたら誘う側が誘われる側に通うものですよね
ということは、対家康に誘う側が大谷や毛利であって、三成は誘われる側だったというのが正しいと思います
面白い
わかりやすい説明で
大河もどんどん興味が湧いてくる
新しい見方ですが、筋が通った説ですね。引退した三成が全面に出ている点に疑問を持っていたから納得できる話です。
現政府に繋がる長州藩を悪くいわないように三成が首謀者にされたのかな?
2あけたくえきあきあ2きけいきえかあこきくいきたかあこあくあ2あ2あけあくあきあこあ2あきあこあ2たあけいきあけあ2あかあこあくあこあきあこあかえかいかあきあきあきあかあきあきあかたくあかあ2あかあかあくあ2あこあ2あかあきあきあきあくあかあかあこあきあけあかあきあ2あけあくあかあ2あこあこきこいくあききけかきけこえくあ2あこあこあくあくたきあけあこあけあきあくあこあくあこあこ2い2あかきかきこいい2けききえ2こけこけあいかあかあかか2湖あかあきあきあこあくきくくあえうこくかあこいてきくおいこうあこ2いお2あこあけいけおこあこかおくかけ娘きくいくのかきくかけこいえいえけあけあ2けくきいいかいういいわよややややややゅややょゃやゃゆゃょややゅら8、よなゆや
ややゆやゃゆよゆよや8ゆゃゆよややよょまゆたやまゆなよなゅたゃまよなゅな8なゆほふふへほふひほはふほ😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮
このストーリーで「大河・石田三成」を観たい😢
次男の子孫になる津軽藩杉山家の御当主によれば、家康は当然知っていたけど見逃したんだろうとおっしゃってますね。
江戸時代の「豊臣の佞臣」も明治以降の「豊臣の忠臣」も後世で創られたイメージ
えっ💦そうなのですか!
西軍の総大将は三成じゃなかったの?
なのに責任取らされて処刑なんて悲劇すぎる😢
三成と家康は親交があったのなら関ヶ原は辛い戦でしたね
今までのドラマなどの三成のイメージが真逆になりました
もし今後、石田三成の大河があるなら、
明智光秀のように
イメージを一変するようなストーリーになりそうですね
これが本当なら今までの通説吹っ飛んじゃいますね
新しい説のとおりの三成だと何故か麒麟が来るの明智光秀と被るイメージを持ってしまいました。この先新しいキャストも発表されたのでドラマの進展が楽しみですね
とても興味深いです🤔
大谷サンと毛利家の関係とか、毛利家の中でも、家康嫌いだけど家康に臣従しないと生き残れないしなみたいな葛藤と、大老の面子と元就公の教えと、複雑な事情があったのかなと妄想が膨らみます💡
単純に、三成家康仲良し🩷の世界線、現実にあって欲しいです💡
三成サン間に挟まって貧乏くじ引化されたのかもですね😢切腹しなかったのもどういう心情だったのでしょう。。
大変興味深く拝見いたしました。
確かに合点が行く点が多いです。
そもそも徳川家康は「好き嫌い」で人を判断しない武将です。
武田信玄とは長らく敵対関係にあり殺されかかっていますが、その実力は誰よりも認めており尊敬していました。
織田信長とは同盟関係にありながら実際には従属関係に過ぎず妻と長男を殺さざるえない状況に追い込まれています。
にも拘わらず信長亡き後も、織田家の一族と上手く連携しており、手のひらを返して冷遇しまくった秀吉とは対照的です。
真田VS家康も一面に過ぎず、東軍に与した信幸の系譜は10万石の大名として幕末まで存続しています。
「味方は多く、敵は少なく」が家康の信条であり、三成もまた敵にしたくなかったのが本音だったのではないでしょうか?
え~!驚きの新説。毛利輝元、不可解。
新しい、おもしろい新説😮
一説には大谷吉継が三成をそそのかしたとかの説もありますね。だからこそ前線で少数ながら戦った。
関ヶ原後毛利への処遇も毛利が積極的に家康排除へ動いていたならわかりますね。
三奉行も処罰されたりしてますからね。
斬新な説で興味深く拝見致しました、ちょうど某社の昔懐かしいシミュレーションゲーム、「徳川家康」のルールブックを解読中でしたから、旧友と、徳川家康、石田三成として対戦する日が待ち遠しいです。
とても興味深い動画でした。👍👍👍
前に武士道さんがあげていた、
(手のひら返し武将列伝)
を思い出します。(^_^)v
私も(三成と家康の関係は良好だった)という、
最新の説を少し前に聞いていたので、
武士道さんがいち早くこの説を取り上げたのは素晴らしいと思います。
「どうする家康」でも、この説を取り上げて欲しいです。
解説では今までの説、
ドラマの内容としては新説、
みたいにドラマが出来上がるのを、私個人は期待しています。(^_^;)
ただ、
武士道さん、喉、鼻、大丈夫ですか?
どうかお大事になさって下さい。(^_^;)
家康にしてみれば「石田殿、何故こうなった?」と思って大津城での引見に臨んでそう
こりゃまた随分衝撃的な新事実ですね!
参考文献が気になるところ(まだ概要欄にない)
武士道さんいつもより声が低くて調子悪そう。無理せずのんびり続けてくださいねー
確かに総大将っぽい動きじゃないんですよね。大局観や戦略が無いし、戦術的にも後手後手で変ですね。
担がれたんだったら納得です。
大河では家康役と三成役の関係が言われていますが
景勝役と輝元役との関係がwキャスト発表、笑えました。(ついでにイノ、、、あっ😅)
ともあれこの五奉行と三成の辺りが描かれそうでスッとボケた?輝元が特に楽しみです。
神授業✨
昔の歴史番組で、家康公と大谷吉継公は交流があったとありましたね。
武士道さんちょっと声がお疲れ気味な感じなので、気をつけて投稿して下さい。新しい説が出てきて三成と家康の友情を『どうする家康』で見たいですねw
石田三成、好き❤️。😊👍😊岡田准一
あらら通説と真逆だわ😅
この動画見てよかったあ
今回の解説は、今まで知っている認識とちょっと、違い過ぎて、驚きました。ビックリです。歴史ドラマが史実と思っていましたが、随分違いますね。三成が主導だと思っていたが。凄い解説でした。納得。
毛利輝元って、酷い。
やる気満々の毛利輝元の話は歴史探偵でみてビックリした。西軍は最初は後方の玉城で戦うはずが小早川をけん制するために城から降りて関ケ原が戦いの舞台になっととも。今後、まだまだ関ケ原の戦いの新事実が発見されるのか楽しみ。
とてもわかりやすい解説、ありがとうございました。関ヶ原以前は三成と家康の関係、良好だったのですね。驚きです。最後はスケープゴートにされるとは、かわいそうすぎます。家康はなんとか助けてあげられなかったのでしょうか。
昔、広島県で発売された毛利輝元物語では、広島県の英雄、広島城築城の立役者として描かれ、関ヶ原の戦いは、あくまで本意では無く、安国寺恵瓊の口車に乗って渋々総大将になったとされていました。
今回の大河では、毛利輝元の配役は吹越満さんだそうですが、ものすごい小賢しいおじさんとして描かれそうですね。
家康と三成はお互い共通してる部分があると思います。倹約家なところとか。
三成の置かれた苦しい立場は、当時としてはあるいみ公然の秘密になってたからこそ、処刑前の期間に家康手づから小袖を与えたりして、虐待するような事はしなかったのでしょうね。子孫も生かしていますし。
面白かったです
むしろ通説はどうしてこうなったというレベルですね
でも、だとしたら関ヶ原の現場で毛利吉川軍はなぜ空弁当まで使って戦いに参加しなかったのでしょう?関ヶ原で徳川軍を倒してしまえは良かったと思うのですが…
毛利秀元の別家創設問題+隆景の遺領問題で揉めちゃったんですよね… 隆景死去で隠居領の安芸の三原を毛利本家に返還するか誰にやるか宙ぶらりん+輝元に子供いなかったけど元就四男の穂井田元清の子の秀元を養子にしてたが念願の実子・秀就誕生→秀吉「おめっとさん!せやけど秀元には詫びにちゃんと石見出雲の二国で独立大名として分家創設してやれよ、小早川旧臣も秀元に編入な 三原は…広家に+かな(秀吉の病状悪化で中止)」と遺言するが、三成と輝元が秀秋失脚後、三成の蔵入地だった筑前←→小早川旧臣を三成に編入というトレードで合意して「秀頼様への謀反じゃなくても奉行に逆らう奴おったら潰そうぜ」と結託(筑前あげるは秀秋の越前転封解除で立ち消えになったが…)
三成裁定「秀元は伯耆・出雲・隠岐で広家は亡き隆景公の三原に国替え!」秀元「…遺言と違うし石高少なくね?」広家「なんで出て行かなあかんの(怒)」輝元「(三原は水運の要衝だから俺が直接接収したい…)」で内紛→三成失脚後、家康の命で広家の転封中止、秀元は本人希望の長門一国+周防の一部と1597年死去した実父元清の安芸・周防・備後内の遺領相続で三原は輝元に返還で決着→広家「ありがとうございます!」秀元「父上の遺領まで貰えるとは!ありがとうございます!」家康「これで一件落着!皆仲良くね!」
輝元「(…三原取れたのは良いけどこの件は本家主導で進めたかったのに家康め余計なことしやがって。ぜってぇ許さねぇ…せや!)」
既にこの時点で「毛利は奉行らに騙されてる」体で徳川との和睦の余地を残してるから、直接戦うとなると「和睦?あんなのは武略だ。騙される方が悪い」と言いきるしかなくなる。
それやっちゃうと以降戦局が悪くなった時に「やっぱり徳川と和睦したいです」となっても通らなくなっちゃうじゃん?
直接の交渉先である家康を絶対に殺せる確証があるんならまだしも、そうでないならそこまでは思い切れないでしょ。
三成の息子が「重家」というのがどうもしっくりしなくてモヤモヤしていましたが、これで納得できました
佐和山城、ウチの近く!
やってられねー現場指揮官の三成の最後に陣羽織着せて上げた黒田長政は唯一の理解者かな
福島正則は当然経緯知らない
声が疲れてますので、また体調不良なのでしょうか。最近の武士道さんは本当に忙しいのでどうかお身体ご自愛下さい🙇🏻♂️
武士道さん、鼻声気味じゃないですか?!お忙しいと思いますが、なるべく無理なさらず、お大事に。ご自愛下さいませ。
以前から、関ヶ原合戦前の家康と三成の関係が悪く見えなかったので疑問符がありましたが、すっきりしました。輝元が狸なのは間違いないですね。
天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった:
一次史料が伝える“通説を根底から覆す"真実とは 乃至政彦 (著), 高橋陽介 (著)
の関ヶ原に至るまでの説ですよね。
今までのイメージとまったく違ってびっくりです。
通説と、だいぶ違いますね!
伊達宗城の人物解説希望です!
家康と三成は最初から相容れなかった、これは必然だと思います
私の今までの三成イメージは鼻持ちならない人。人徳が無い為に関ヶ原の最後に島津等、有力武士が寝返ったと思ってます。でも昔、祖母が処刑場に行く時に誰かが三成に柿を差し出したら
恥ずかしい死に様になるので断った話をして筋の通った立派な武将って言ってたな。人はいろんな側面があるのでしょうね。
明日は石田三成公の日であり、大河ドラマでも、ちょうど中村さんが出演シーンが
時代の流れや立場の問題だったのかなって思う。
徳川家も自分達の時代を作る為、三成達豊臣側も豊臣の栄光を守る為、それ故に争う事になったというか何というか。
毛利ひでえな、幕末では江戸でテロおこすし。 だーいし可哀想すぎる。
逆にここまではっきりしているのになぜこれまでこんな通説がまかり通ってたんでしょう。
悲運の武将石田三成だったんですね、、、知らなかったです。これをどうするでえがいてほしいです。
七将襲撃事件は藤堂高虎を外して加藤嘉明が入る説もありますね。
輝元はバリバリの野心家だったんですね
三成の子供たちがみな生き延びてる事実を考えると
三成首謀説は成立しがたいと考えるべきかも。
また大谷吉継が三成のほうに出向いてることは
吉継が三成を説得に出向いたと考えるのが妥当。
大谷刑部が三成に
家康打倒の兵を
あげる説得にくる
わけないだろ。
当時は、豊臣政権不審抱いている人いったから三成忠臣かとは言えないので、船と水の関係例えるなら豊臣家は、船 水家康たちでしょ?
黒田と蜂須賀は逆恨みで草w
三成は東国大名の取次を担っていたので仲の良い大名が多く家康もその1人と言えます
同じく東国大名の取次役を担ってた家康とは早くから仕事仲間だった訳ですし
景勝の会津転封の時と同様に家康の関東転封の時に便宜を図っていたのかもしれません
いつの時代も、足の引っ張り合い
関ヶ原後も三成の子ども全員命は許されて、内一人は津軽藩の家老になったとも聞きました
新説を興味深く聴かせてもらいましたが、一点質問です。本戦での吉川広家の裏切りはどう説明するのでしょうか。
関が原の本戦前に岐阜城が陥落したからです。その段階で西軍総大将の毛利輝元は敗北を確信し、主戦派の安国寺恵瓊・秀元に内緒で広家を通して家康との講和を模索、本戦前に裏切りを条件に毛利家お咎めなしで話がつきました。当然、吉川広家は動きません。恵瓊と秀元は大混乱。吉川広家と仲が悪かった恵瓊は全責任をとらされて切腹です。
よく、広家が三成を恨んでいたからと言われるのがありますが関係ありません。
三成が現場指揮官になったいきさつがわからない。五大老の一人、宇喜多がいるのにね。毛利はずるいなー。そりゃ大幅な減封されるわ。
五大老だからこそ権限与えられなかった可能性もあります
あと多くの大名を統制する経験が圧倒的に不足してますし
一応文禄の役で日本軍総大将にはなってます
聞こえない程ではないが収録音が小さいです。改善を望みます。
今までの通説ドラマとは、まったくの逆の歴史のせつ😮
本当に三成が政治家よりもビューロクラットと思います。忍城をも落とせないし、家康の動きも読めないし。。。
忍城の水攻めの件は石田三成のせいにされがちですが、三成着陣時にはもう既に決まっておりました。(秀吉の意向)
水攻めに消極的な内容の当時の三成の手紙が残っております。
家康暗殺の黒幕を前田利長と決めつけて加賀征伐をしたり難癖付けて上杉征伐を決めたり実際に家康が好き勝手しすぎじゃないですか?
三成が西軍についたのも上杉と昵懇の仲で見捨てられなかったって説もありますし
声どうされました?
カメラのせいなのかな?
毛利はこの時の失敗を家訓の様に伝え、200何十年後に憂さを晴らしたわけか。
自分が始めた戦いなのに会戦が負けたら大坂城を捨てて逃亡し、結果として大減封を食らった。
って、鳥羽伏見の戦いの徳川慶喜と一緒ですね。
今まで刷り込まれていた通説とはいったい?ってぐらいに違くて驚きでした。。。これが本線のお話なら関ケ原で全く仕事しなかった毛利一門なにがしたいん?
って、思っちゃいもすよね。。。武士道さんお声がやばすぎだが。。。ご自愛くださいませ。
毛利は内部対立していまして、輝元VS秀元、広家の構図ですね。そこから推察すると関ケ原前後の動きに全く違和感はありません。むしろ通説の方に違和感があります。
音質ちょっと変わった?
多分武士道さんがお疲れ気味なのかもしれませんね
通説って内容として出来過ぎてると感じていました。
これまでの時代劇では豊臣家のため、忠義など、三成はそういうイメージがつきまとっていたように思いますが、どうやら違いそうですね。
意外にも三成が家康に子どもたちの助命嘆願を関ヶ原前に願い出ていたとかないんですかね?
三成の子は全員助命というか江戸時代以降を生き抜いてますよね。
西側の大名達は誰もこの戦の責任を取りたくないが故に総大将になることを望まず三成にすべてを被せたのかもしれません。
関ヶ原の地で豊臣恩顧の大名達が東軍につき戦っている姿を見て三成は何を思ったでしょうか?
秀吉のもとで出世した武将たちが秀吉が亡くなった途端こうも手のひらを返せるものなのかと、複雑な心境であったのではないかとわたしは思います。
史実として出回ってるのが一次資料に無い話ばかり。。
後付けの創作が多過ぎるのか、、
意外な史実・・・
関ケ原の戦いを知れば知るほど、毛利輝元は何がしたかったのかわからない・・・
自身は大津城攻めをしていたこともあるけど、大坂城から動かない・・・関ケ原にいた吉川広家、毛利秀元は動かないし、一応分家筋の小早川秀秋は東軍に寝返るし
毛利の勢力拡大…具体的には祖父元就が夢みた西国全土の覇者になりつつ宇喜多か奉行らの誰かを中央政権のトップへ押し上げるって所だったのでは?
成功すればその形。一方で失敗した場合はどうにか厳重注意。あっても所領を削られるぐらいで済ませたい。
言わばダメコンに重点を置きながらやってた謀略だと考えれば辻褄は合うし、毛利軍が関ヶ原で動かなかった事にも説明は付く。
いかに書状を交わしていようが実際に徳川と戦闘行為に及んでしまえば「毛利家は騙されただけなんです」なんて言い訳が通る余地はゼロになる。
あくまでNo.2である吉川としては責任者の輝元が現地に居ない以上はリスクを取る気になれなかったんでしょう。
毛利秀元は動きたくても吉川広家に騙されて動けませんでした。
自分が総大将で大阪城に入れば家康は関東に釘付け 徐々に支配を広げればいいと考えたんでは?だがすぐに反転に
動くとは思ってなかった。上杉がでてこれなくなる冬になるまでは
東軍が強すぎて岐阜と大垣が一瞬で制圧されたからヒヨった。
関ヶ原前のこの時点で輝元や吉川広家は三成と恵瓊を尻尾切りしようと画策し始める。
逆に家康は武断派にキレられるぐらい江戸に引きこもってたが、武断派が岐阜を超速で落としたのでこれは勝てるとなって即座に関ヶ原まで出てきた。
だいたい岐阜で説明が付く
なるほど…… 🐧(笑
仲が良いというより、お互い武将として評価・リスペクトしていたと言うのが正しいのでは?
関ヶ原の戦いで三成も主体的でなければ、あそこまで現場監督的な立場にならなかったと思います。内府違いや吉継の行動も三成が表に出ず(失脚した自分が表に出れば上手くいかない?)、裏で動かしたと解釈するのが・・・。それに、毛利の裏切りっぷりというか、見捨てっぷりも三成可哀想・不器用というより武将としてお人好し過ぎると。
ちょっと三成を美化する流れで、違和感はあります。
三成は政権で最大派閥の徳川を"危険視"していたのは間違いないと思う。
だからこそ徳川とやりあったら終わりなので、家康と仲良くする事で最大の政敵である武断派(前田派)に対抗しようと考えた。
その絵図の中で利家が死んでしまい、前田派は徳川派に劣勢になった。
家康はここに至るまで誰にも肩入れせず武断派とも三成や島津とも仲良くしていた立ち回りが上手く、武断派は家康に鞍替えした(ここで東国武力をほとんど手に入れた家康は天下取りに行けるという確信を得た)。
三成は焦って毛利とコネクションを取って、徳川-武断VS毛利-三成という絵図になった。
時系列でみるとこんな風に見えます。
三成はそこそこ人望ある中堅管理職くらいなんだと思う。毛利、島津、佐竹、真田あたりとの関係性をみると、普通にリア充コミュ力高めの頭は回るタイプ、という男。逆にそれで出世したから、武断派と対立したんじゃねえかなあ。